ステンドグラス史 豆知識-第2話-

大倉山記念館をつつむ黄金色のガラス

田 辺 千 代

大倉山記念館は不思議な雰囲気を漂わせた建物と広く知られる。

施主・大倉邦彦

設計・長野宇平次・荒木孝平

施工・竹中工務店

竣工・昭和7年4月

 建てられた昭和7年当時の世相は1月の上海事件に始まり、満州国の建設、五・十五事件、東京ガス疑獄、リットン調査団日本、中国、満州の現地調査へ、白木屋の火事、唯一明るいニュースはロサンゼルスオリンピックで三段跳びの南部忠平選手が世界新記録を達成日本中が沸いた。ざっと拾い上げても不安に満ちた落ちつかない年であった。

 とりわけ日本の教育界の乱れを憂いた実業家・大倉邦彦は未来の若者たちに託すべく私財を投じて図書室を備えた建物を建てた。
旧大倉精神文化研究所・現大倉山記念館である。

 ガラスの仕事は板谷アトリエの板谷梅樹(陶芸家・板谷波山の子息)が受け持った。

981円40銭の見積書に添えられたステンドグラスの彩色図案下絵は、薄緑色縦長の窓枠に6つ円盤状のクラウンガラスがデザインされていた。板谷梅樹のデザインは使われることなく塔屋も殿堂も全て黄金色のガラスになった。

 竣工当時の黄金色のガラスは昭和59年の大改修で現代のガラスに替えられ一枚も残っていない。光を通して天井から降り注ぐ、濃くはあるが品があり、鈍くはあるが柔らかな、かつての黄金色を古い資料を読みながら想像するのも愉しみかたのひとつである。

 

2004年12月3日 大倉山記念館の図書室で見つけた貴重な資料は、遠藤於菟の研究者・鈴木智恵子さんが当時記念館の研究員・平井誠二さんを引き合わせって下さったことにより板谷梅樹の資料に巡り合うことができました。

大倉山記念館
大倉山記念館
この写真は現在(改修後)のものです